2017/04/06  朝日新聞 朝刊  14ページ  1671文字  編集委員 秋山訓子
 初めて彼に会ったのは、昨年の春だ。
 少し、はにかみながら「最近、彼女ができたんです」と言っていた。「給料で彼女にプレゼントを買ってあげて。そういう、ちょっとしたことが幸せだなって思えるようになりました」
 彼とは、Bさん。このコラムが出るころ、23歳になる。一昨年の2月まで1年半、少年院に入っていた。
 静岡出身。物心ついたときには父と母は離婚していて、母と6歳上の姉との3人暮らしだった。裕福ではないけれども幸せな日々だったが、小5の時、母がバイクの事故で亡くなった。父に引き取られた。
 この父がささいなことで暴力をふるった。Bさんの後頭部には木刀で殴られた痕がある。左手の小指も変形したままだ。仲良しだった姉は高校卒業後、出て行った。
 高1の時、父親から突然「出て行け」と言われた。母方の祖父母の家に身を寄せたが、お小遣いももらえない。お金のかかる部活動のサッカーもやめろといわれ、退部。そこからぐれはじめた。たばこを吸い、無免許でバイクを乗り回し、万引き。絵に描いたような、という一言で片付けるにはあまりにつらすぎるのだが。
 ある日、万引きで警備員につかまった。「思わず手が出て」殴る。保護観察ですんだが学校もやめ、家出してまた万引き……それで、少年院に入った。院を出る前、求人を見てたまたま目についたのが「職親(しょくしん)プロジェクト」。神奈川県のとび職だという。母のお墓のある静岡からできるだけ離れたくなくて、なんとなくそこに決めた。
 職親とは、2013年に日本財団が始めたプロジェクトだ。財団では、もともと高齢者や障害者を支援していた。そのなかで刑務所を出た人の再犯率が高いことに気づいた。そこでもっと広げて出所者や少年院を出た人の再出発を後押ししようと始めた。受け入れ企業と連携している。Bさんが入ったのは神奈川県横須賀市の会社、セリエコーポレーション。社長の岡本昌宏さん(41)も「元やんちゃ」。独自に出所・出院者の支援をしていたが、日本財団の活動を知って加わった。
 仕事は最初きつかったが、社長や仲間にかわいがられて、無遅刻無欠勤を続けてきた。「やることがなかったら悪いことばっかりしちゃうと思う。でも、見守ってくれる人がいる。少年院で親身に就職の面倒を見てくれた先生と、社長は裏切れない」
 もちろん、彼女のことだって。
 現実はそう簡単ではない。岡本さんは50人以上世話をしてきたが、今でも連絡が取れるのは10人もいない。一緒にやらないかと300人以上の経営者に声をかけたが、動いてくれたのは数人だけだ。
    ◇
 そういう民間の動きに刺激され、政治も動いた。「超党派で再犯防止を進める議員連盟」が14年に発足、昨年末に再犯防止推進法が議員立法で出来た。複数の省庁にまたがる施策だから、議員立法のほうがなじむのだ。どれだけ実効性があるのかはわからないが、とにかく一歩。予算も増える。
 議連の事務局長は〇〇党の〇〇衆院議員だ。検事出身で、2期生ながらストーカー規制法改正など数多くの議員立法を手がけている。なぜ再犯防止を?
 「地元を回っていると、いっぺん過ちを犯しても、その後良い経営者や家庭人になった人がたくさんいるんですよ。人間、待っている人や、つく仕事があれば立ち直れると実感しているんです」
 票になりにくい、ですよね?
 「その通り(笑)。でも、立ち直った人たちが言うのは、信じてくれた人がいたからここまで来られたと。その手助けができたら、心の底から議員冥利(みょうり)に尽きますよ」
    ◇
 Bさんと先月、また会った。彼女と暮らし始めたという(ただし、最初とは違う女性だそうだ。若いっていいですね)。無遅刻無欠勤は、現場で苦手な人がいて「つい、ばっくれてしまって」、最近破ってしまった。社長が心配して連絡をくれた。またやり直すつもりだ。
 「一からリセットです」
 旅立ちの季節だ。彼の再挑戦を応援する社会であればいい。このあたたかな春の光と空気のように。
 (編集委員)